管財人 その2

 

 

618日(月)

私はよく色々な状況に出会いますが、とても厳しい状態でこのようなことを学ばなくてはなりませんでした。特に色々な争いがある時-人々はお互い同士うまくいかない、物事が壊れてしまう、そんな時に「あ!何かが変わらなくてはいけない!」とそんな気持ちになったり「物事がもっと良くなっていくべきだ」と思ったりします。そのフィーリングからさえも遊離しなくてはいけません。遊離した観察者になって、感情を伴わずに、ドラマのシーンを受け入れるのです。

 

問題とは何でしょう、玉のように糸が絡まっている時―問題とはこのようなものです。その中にすでに解決が入っているのです。遊離した観察者になってただ見る…糸を見て、ニュートラルであることです。そうしたら、絡まった糸をほどいていくことができます。ついには解決が、自動的に表れてきます。

 

けれども、問題を問題として見続けていくとあなたは問題の一部になってしまいます。あなたの視線が問題になってきます。多くの人がこのことに気付いていません。そして問題を見続け、問題を加えてしまっています。

 

 

619日(火)

遊離するには沢山の忍耐が必要です。待つ必要があります。見る必要があります。心をピュアでクリーンにしておく必要があります。すると、ドラマやババからシグナルがやって来ます。その時に行動します。シグナル無くして自分の感情から動いたら、微妙なフィーリングに基づいて動いたら…「何かしなきゃ、何かがここで起こるべきだ」・・・もっともっとごちゃごちゃにしてしまいます。秘密は、心をクリーンで純粋に保って初めて、シグナルを受け取ることができるからです。

 

 

620日(水)

ドラマの7~8割のワークは何に直面しても心をピュアでクリーンに保っておくということです。そうすればシグナルがやって来ます。誰かを道具にするというのはババの仕事です。私が自分自身を道具にする必要はありません。この状況でババは誰を道具にするのでしょう?ババはどのように自分の仕事をすべきかわかっています。管財人はババに対して深い信頼があります。もし自分が責任をとったら、神のインテリジェンスを理解していない、神がどのように機能するのかをわかっていないということです。ですから、自分が彼のために何か仕事をしなきゃいけないと感じてしまいます。それはこの上ない、この上ない傲慢さです

 

 

621日(木)

全てがタモプラダーンになることになっています。それは法です。なぜあなたは文句を言うのですか?体は死ななくてはなりません。それがどうしたというのですか?全てのことが、タモプラダーンのステージに到達することになっています。タモプラダーンの状態、それも真実です。全てがタモプラダーンに、ゼロエネルギーのレベルに到達することになっています。では偽りとはどこにありますか?真実を受け入れない時に、偽りがあります。ですから内側で反応し続けますタモプラダーンのものに対して、反応し続けます。タモプラダーンになるものが、すべて問題というわけではありません。病気の体、死んでいく体、それが問題ではありません。そうなることになっているからです。問題は心の中で自分が何をしているかです。ここでマヤがゲームをするのです。マヤが幻想と言われるのはそのためです。

 

 

622日(金)

質問→自分が管財人でいることとマスターでいることの関係は?

答えマスターとは「私が誰なのか」を感じているということです。魂の体験の中に入っていくと、魂は体の御者だという風に感じられます。体を使って機能させるのは魂なのだ、という体験があります。ですから古い習慣に対してどうしようもないと絶望的になることはありません。

管財人とは、“ババに責任がある”と魂が認識している状態です

 

質問→管財人はどのように考えるのでしょうか?管財人は考えないとおっしゃいましたが。

答え→まず自分自身を魂の意識に安定させる必要があります。管財人というのはソウルコンシャンスの態度なのです。献身の道のように“全てが神のものだ” そう言いながらも古いサンスカーや古い習慣で機能することではありません。まず深いソウルコンシャスになるのです。そして古いサンスカーや習慣と全く分かれた状態を感じます。それに引っ張られない状態になります。すると「はい、ババ、これさえあなたのものです」「古いサンスカー、古い性質、古い体は、私のものではありません」と感じられるようになります。

 

 

623日(土)

例えばお金の心配をしているとしたら、その状態であなたはマスターですか?お金に対して心配するとは“お金の方があなたより偉大だ”と感じるということです。まずお金に対して心配するのをやめることです。「なぜ私はこんな事を心配しているのだろうか?これが私の人生の支配者なのか?お金が無ければ生きていけないという程、私はお金を偉大なものにしてしまったのだろうか?」ギヤンを適用して、その習慣を破壊します。隷属する事との関係を認識する必要があります。「いいえ、そうじゃない、私は魂」、お金を使う時に、どのように使うかを認識します。そしたら「はい、ババ、これはあなたのものです」という事ができます。

 

けれどもお金を使うのに不注意なら、「はい、ババ、これはあなたのものです」と言っても機能しません。これはパラドックスです。ソウルコンシャスのマスターとして、責任をもって行動すると、その結果を神のものと考えます。そしてその結果を神に手渡せます。責任を持って行動しないと、心配し、その後拒絶します。「あーこれはあなたのもの、私は考えたくない」という風に。人生の中の全ての側面を正確にしなくてはいけません。ババに全てを差し出すという事は、(これは私のものではないからと)拒否していくという事ではありません。

 

 

624日(日)

魂として私はシュリーマットに従っていきます。シュリーマットに従って行動して初めて、ババに責任があると言えます。でも自分自身の心の指示に従って行動し「全てはドラマに従っている、ババに責任があるのだ」このように考えるなら、自分自身の不注意を、その時見えていません。自分が面倒みるべきものを壊した時「これはサイクルごとに起こること、これはドラマです」…これはあなたの不注意です。

それを認識しなければ自分自身を馬鹿にしているだけです。

 

人々は多くの場合、ドラマとババの役割について間違って使っています。何故でしょうか?それは認識の力が無いからです。私は一体何をしているのだろうか?私は責任をもって行動をしているだろうか?シュリーマットに従って行動しているだろうか?…その認識が無いからです。

 

付録

清潔さは神の隣にあります。ロンドンのダディのベッドルームは全てがとてもシンプルで、全てがあるべき場所にあります。初期の頃、ダディが私たちを訪問すると、まずタンスの引き出しを開けて、全てをチェックします。そして翌日、管財人であることのクラスをします。“私の家、私の部屋、私のお金”と思いながら暮らすのではありません。そうすれば、寺院の面倒を見ているかのようにすべての面倒をみることができます。そして私たちは崇拝に値するディティになります。私たちの周りに寺院の様な雰囲気を創り出します。では、今日あなたは何をしますか?

 

オムシャンティ