ゴピ宝箱 0611-0617  (2018年4月19日のクラスより) 

 

管財人

 

 

611日(月)

何がババを管財人にするのでしょうか?ババは何に対しても魅了されることはありません。ババに食べさせるとき、完全に遊離していますね?「美味しい」というフィーリングは全く無いです。では私たちを管財人にさせないものは何ですか?私たちは全ての物に魅了されます。特に感覚器官に関連しています。

 

2つのことがあります。管財人なのか、ハウスホルダー(家庭人)なのか?両者の違いはその“態度”に関わっています。ハウスホルダーの態度は、“感覚器官の利益のために暮らしている”ことです。「今日は何を食べようか、何をしようか?」ハウスホルダーは感覚器官の拡大に行きます。「今日はどんな音楽を聴こうか?」ハウスホルダーの生活は感覚器官の快適さのまわりをまわっています。感覚器官を喜ばせるために生きているようなものです。ですから、ブラーミンとしてもとても快適にいることができます。でもそれは管財人ではありません。管財人の態度は放棄です。味わわない、何からも喜びをとろうとしません。考える必要が無いのです。

 

 

612日(火)

中東の人が言いました。「ダディ、あなたは考えるなと言いますが私はビジネスマンです。来週スルタンに会ってビジネスの提供をすることになっています。勿論私は考えなくてはなりません。」ダディはその人にとても素晴らしい答えをしました。「ダディは2つの考えから自分をフリーにしています“私はこれをしなくてはいけない”、“私はこれをした”この2つの考えです。これはとても微妙なことです。たとえ責任があったとしても「これをしなくては」「今日はムーリーを読まなくては」…管財人はそのようには考えません。管財人にとってやるべき事は明確です。管財人のマインドは、とても純粋でクリーンです。自分がするべき仕事に対して心で触れることさえしません。はい、私にはムーリーを読むという任務があります、ただ座って読むだけです。何故“私がムーリーを読まなくてはならない”という余分な考えさえ持つ必要がありますか?

 

 

613日(水)

自分に責任があると感じる”ことと、“責任をもって行動する”こと…この2つには違いがあります。責任をもって行動をするのは美徳です。一瞬一瞬それに対応して責任をもって行動します。不注意ではなく、責任をもって行動しながらそれに対しての責任は私には無いのです。これは少し微妙な事柄です。

 

私が何かをしなくてはいけない”と考えると、その仕事に対しての責任は自分にあると感じ、仕事の後“私がこれをした”と思ってしまいます。これが微妙なエゴを養います。これはとても深い課題です。

 

 

614日(木)

まず必要なことは「ひとつのババ、他の誰でもない」ということです。もし魂が、神が自分の人生の支えであり、維持するものであることを受け入れていなければ、マインドは、ピュアでクリーンではいられません。2番目の資格は自分自身が深く認識していること、特に体と魂の関連で“誰がマスターなのか”ということです。魂がマスターです。私は創造物の奴隷ではありません。

 

自分がマスターかどうか、どうやって認識できますか?病気になった時です。希望を失い、絶望的になったとしたら、それはあなたがマスターだと認識してはいないというサインです。これは大きな病です。そのような状態でどうして管財人になれますか?誰が、マスターなのでしょうか?魂がマスターですね。そして初めて、体を適切にマネージすることができるのです。それに対する責任さえとらないで、適切にマネージすることができます。

 

 

615日(金)

今日ババはとても興味深いことを現しました。もしあなたが管財人なら、全てをケアできると言いました。お母さんが病気なら、それを放り出すわけにはいきません。責任をもって行動します。でも、母親の病気の責任を自分がとる、というわけではありません。しかし、時々人々は間違って責任をとってしまいます。もう関係をカットしてしまおう…ババのところに行くのだからロキックの関係はカットしよう…それは間違いです。態度を変えなくてはいけませんでも責任を持って行動するのです

 

 

616日(土)

 私は何かをしなければいけない”“私は何かをした”…この2つの考えからフリーでいれば、心は軽くいられます。これが管財人のもう一つのサインです。とても軽いです。軽いので決断力が増えていきます。重いと決断できません。考えて、考えて、同じことを何度も繰り返すだけです。これは、自分の心を深くケアしていくということなのです。マインドにプレッシャーを与えてはいけません。全てはドラマに従って動いているのです。皆がそれぞれ自分の役を演じているだけです。皆にカルマの勘定があります。では、私は何をするべきですか?人のすべき事にいちいち首を突っ込むのですか?何かが間違ったとしても、それが一体何だというのでしょう?あなたが口出しすべきことではありません。

 

 

617日(日)

魂の意識でない時、魂は常にまわりで何か間違いが起こるとそれに対してアップセットします。エゴの舞台―それはとても長い間私たちのセルフリスペクトとしてあったので、それは常に私たちに“何かが正しい、何かが間違っている”と感じさせますこれがエゴのフィーリングです。このフィーリングをもって生きていると、間違ったものを正そうとすることにはまってしまいます。これはこの上ない傲慢さです